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地名の謎と魅力に迫る 名東区の「鱣廻間」について考えてみた
私の住んでいる地域の近くに「鱣廻間(うなぎはさま)」という一風変わった名前の場所がある。どうしてこの地にこのような名前がつけられたのか。何年か前にその存在を知ってから、ずっと気になっていた。当たり前だが、どんな場所にも地名はある。地名の起源については謎が多く、わからないことばかりであるが、そのほとんどは、その土地に起因したなにかの影響を受けて命名されたのではないかと推測する。地名ほどその地の痕跡を伝え残し、数多く存在しているものはないだろう。そこで今回は、「鱣廻間」の地名を調べて考えてみたことを記し、地名の謎と魅力について迫ってみたい。
鱣廻間を歩いてみた
名東区の北部にある明徳公園。鰻廻間は、この公園内の西側の半分くらいを占める区域で、所在地は「猪高町大字猪子石鱣廻間」になる。この公園は、東西約400メートル、南北約700メートルで、面積は約21ヘクタールある区内では大きな公園である。公園内には釣りを楽しめる明徳池があり、四季を通して鳥、虫、花を観察することができ、都市の中に自然が残されている貴重な緑地となっている。
鱣廻間の区域内にある建物は、猪子石コミュニティセンターのみで、近くを東名高速道路が走り、公園のまわりは閑静な宅地が広がっている。現地を歩いてみると、丘陵地ということもあって坂が多く、丘を切り拓いて道をつくったような所も見られた。公園の中は、うっそうたる森が広がり、地名を示す表示物やこの地の歴史や文化を記録した石碑などのような構造物は、どこにも見当たらなかった。
鱣廻間の歴史を調べてみた
これまでに調べてわかっている範囲で、鱣廻間の地名について書かれてあるもっとも古い記録は、原本が昭和7年に発刊されている『愛知県地名集覧』(愛知県教育会、原題は『明治十五年愛知県郡町村字名調』)という本である。この本の猪子石村(現在の名東区の一部)のところに「鱣廻間 ウナギハサマ」とあり、字名と読み方を確認することができる。
また、このあたりに「鱣廻間池」という猪子石村で2番目に大きな池があった(参考:小林元『猪高村物語』、猪高村は猪子石村と高社村が合併してできた。猪高村の大部分が現在の名東区になっている)。過去の住宅地図を調べてみると、昭和35年頃までこの池があったことが確認できた。『猪高村物語』によると、場所は現在の猪高台1丁目と猪子石3丁目の境の東部のあたりで、明徳池の南西500メートルの付近になるとされている。
また、『猪高のあゆみ』(猪高小学校建設委員会)には、以下のような記述がある。「江戸時代、この地方の産業の中心は農業であり、その中でも米作りが中心であった。しかし、起伏した丘陵地で、乾燥土壌が多いため、水を求めてたいへんな苦労をした。水ごい・水あらそいがたえなかったそうで、日でりに泣く農民は数しれなかった。そこで、農業用水をたくわえるために、猪高のあちらこちらにたくさんのため池をつくった」。このことから推定すると、鱣廻間池も江戸時代につくられたため池のひとつだった可能性が高い。この土地は、けっして恵まれた環境ではなく、先人たちの暮らしは厳しかったようだ。
昔の人びとは、ため池の水を落としたり、用水路や溝をせき止めたりして魚を捕まえた。これを「殺生(せっしょう)」と呼んだ。捕まえた魚は、貴重なたんぱく源となった。そのなかにはウナギもいて、この地域と縁のある魚であった(参考:『猪子石今昔』〈香流橋地域センター〉)。そうでなければ、後世の後づけであったとしても、「鱣」という漢字が地名に当てられることはなかったのではないか。ちなみに、江戸時代の寛文年間に尾張藩が編さんした『寛文村々覚書』の猪子石村のところには「うなぎ池」という池の名が記録されている。鱣廻間池とうなぎ池の関係はわからないが、この地において「ウナギ」という言葉が、なにか特別な意味を持っていたのかもしれない。
「ウナギ」と「ハザマ」について
「ハザマ」とは廻間、狭間、迫などと表され「物と物との間の狭いところ」や「谷あい」などを意味する。尾張地方に多い地名で、古戦場の「桶狭間」(緑区と豊明市のあたり)がよく知られている。鱣廻間には、標高72.6メートルの「からす山」があり、起伏の多い緑地であることから、昭和30年代以降にこの一帯で実施された大規模な宅地造成事業の対象に入っていなかったと思われる。だから、現在も昔の地形が残っていると考えられ、現地を歩いてみて、この地に「廻間」の地名がつけられたことは十分に理解できた。
しかしわからないのは、なぜ「鱣」がつけられたかである。そこで、ウナギの語源について調べてみた。『暮らしのことば新語源辞典』(講談社)によると、ウナギは『万葉集』(8世紀)などに「ムナギ」とあり、これがウナギの古名であるという。ムナギのナギはアナゴのナゴと同じで、蛇などの意の琉球語「ノーギ」と関連があるとする説を紹介し、ナギ・ナゴとナガシ(長し)の語幹であるナガとの関係についても触れている。また、佐野賢治『虚空蔵菩薩信仰の研究』には、天養~治承年間(1144~80)の頃から、ムナギがウナギと称されるようになったとの考えが示されている。
地名は、はじめは人と人の言葉を介して使われ、やがて文字として表されるようになった。その経過においては、記憶の誤りや発音のなまり、後の人による異なる読み方や解き方、用字の間違いなどがあったはずである。さらに、少なくない数の地名が、その時代の政治によって幾多の変更の波を受け、喪失を繰り返しながら現在まで続いている
なぜこのような地名がつけられたのか
鱣廻間の地名がいつの頃に命名されたかにもよるが、ウナギの部分は、ムナギの「ムナ」「ムネ」「ナギ」やウナギの「ナギ」「ウナ」などから変化し、生まれた可能性が考えられる。『地名用語語源辞典』(東京堂出版)によると「ムナ」は、ミネ(嶺)、ムネ(胸)、ムネ(棟)、ウネ(畝)などと同じく「高く盛り上がった所」を意味するようである。「ムネ」は、ウネ(畦)、ミネ(嶺)の他、中間が空虚になった地形とか荒れて痩せた不毛の地などをいうムナ(虚)などがある。また「ナギ」は、山のくずれた所や崖、材木や薪炭材をすべらせて落とす坂道、焼畑などを表すようである。そして「ウナ」は、山の嶺、畝、尾根筋などの高み、田の神を祭った所などと書かれてある。
以上の言葉の中に見られる、「高く盛り上がった所」「荒れて痩せた不毛の地」「山のくずれた所や崖」「坂道」などは、丘陵の高台にあって慢性的な水不足に見舞われていた鱣廻間の地理的な条件と合致するとはいえないか。そしてその土地の状態を表す上記のような言葉が、なにかのきっかけに「ムナギ」か「ウナギ」へと転じ、定着したのではないか。
また、同書では「ウナ」の意味として、田の神を祭った所があげられている点にも注目したい。鱣廻間のすぐ近くに「社口(しゃぐち)」という地名があり、かつてそのあたりに存在した社口山の周辺は、猪子石最奥の水源地として農業神が祭られていたとの考察が、『猪高村物語』の中で示されている。強靭な生命力と特異な体躯をもつウナギを異能な生き物としてあがめ、信仰の対象としている地域は全国のいくつかで見られる。水不足をつねに恐れ、そこからの救済を願う人びとの祈りの対象が、水源に近いこの地において畏怖する存在であるウナギに向かい、水の神につながる特別な生き物となった。そして、そのことが地名をつけるうえでの決定的な要因になり、地理的な特徴を表す「ハザマ」と結びついた。そう考えるのは、まったく意味のない空想とは思えない。
地名は生きた歴史である
ここまでに書いてきたことは、私の勝手な憶測ではあるが、地形、生き物としてのウナギ、信仰など、いくつかの視点から、鱣廻間の地名がつけられた理由について探ってみたものである。地名を調べることは、その土地の風土を知り、先人の歴史をさかのぼることにつながる。「地名は大地に刻まれた百科事典の索引である」(谷川健一『列島縦断 地名逍遥』)。地名には、歴史、文化、言語、地理、地質、生物などさまざまなものが含まれている。
このあたり一帯は、おそらく太古の時代には人びとが暮らしていたのだろう。だとしたら、その時代までに多くの地名がつけられたはずである。人びとの了解をへて定着したであろう一つひとつの地名には、当時を生きた人びとのその地に対する思いが込められているはずで、そのなかには、氏神に対する畏敬のようなものがあるのではないか。時代とともに表層に見えるかたちは変わったとしても、自然と人間が深く交わった記憶の魂は、地名のなかに脈々と受け継がれ現代とつながっている。
場所を示す固有の名詞を、いつ、だれが、どうしてそのように名づけたのか、そのほとんどは謎に包まれている。「今ある日本の地名は少なくとも数千万、ことによると億という数にも達しているかもしれぬ(中略)」(柳田国男『地名の研究』)。地名の起源や由来について考えると、太古とのつながりを太く意識し、圧倒される。地名はその土地の生きた歴史である。