ENVIRONMENTALCOLUMN 環境情報を知りたい方/環境コラム
地域の豊かさを象徴するアユ ~長良川の営みから環境を考える~
食べても釣っても人びとを魅了し、人気を誇る魚のアユ。5月から6月にかけて各地の多くの河川では漁が解禁し、今年もアユの季節がやってきた。岐阜、三重県をへて伊勢湾に注ぐ長良川も、天然アユの産地として知られる。水の恵みを受け流域では和紙や刃物、酒づくりなどの伝統産業が発展し、自然と深くむすびつくなかで多様な文化が育まれてきた。なかでも鵜飼や友釣りをはじめいくつもの漁法が発達し、地域の食資源として利用されてきたアユは、象徴的な存在といえる。昨年12月にはFAO(国連食糧農業機関)より、岐阜県内の上中流域を対象にした「清流長良川の鮎」が世界農業遺産の認定を受けた。自然と人が共生し、生命が循環する里川のシステムは評価を受け注目を集めるが、一方では課題も見える。アユをめぐるいくつかの場面と人びとの取り組みから、長良川の自然や営み、環境について考えてみたい。
アユの一年を占う調査
4月下旬、岐阜市の長良川下流で今年2回目となるアユの遡上調査が実施された。地元の長良川漁協が毎年、解禁前のこの時期に2回行い、アユの捕獲匹数や生育状況などを確認する。この日の調査は早朝から始まった。数人の川漁師が組になり「ぼうちょう網漁」で海からのぼってきた稚アユを捕まえる。この漁法は、佃煮の材料となるイカダバエなどの小魚を捕る伝統漁で、地元の川漁師によれば、いくつもある長良川の漁法のなかでももっとも難しいという。
長い竹竿をにぎる川漁師たちは、半円を描くように浅瀬を囲む。竿の先端には黒い布きれが巻かれてあり、天敵の鳥に模して水面を走らせたり叩いたりして稚アユを驚かせる。息を合わせ、声を掛けながら竿を自在に操って魚を誘導し、四手網のなかに追い込む。熟練の職人たちは、下流から上流のほうへとゆっくりと進み、魚の群れを見つけるとこの工程を繰り返す。
「昨年より多い。今年は大きい」。調査の途中でベテランの川漁師が話した。今シーズンの漁模様を占うこの調査で、好漁への手ごたえをつかんだようにも見えた。逃す前に、捕れた稚アユの入ったかごをのぞくと、勢いよく跳ねる丸々と太ったたくさんの魚体が見えた。
長良川でぼうちょう網漁ができる川漁師は、数名しか残っていない。調査を担う男たちの最年少は60代半ば。この伝統漁法が絶えたとき、職漁師たちの手によって行われる、アユの一年を占う調査も終わる。
競りにかけられ商品になる
5月11日、岐阜県内の先頭をきり長良川の下流域でアユ漁が解禁した。その日の午前0時から捕られた天然アユが、同日朝の岐阜市中央卸売市場に入荷する。市場を訪れると、すでに場内の一角にはアユの入ったせいろが積まれ、取引に参加する仲卸業者や売買参加者らが集まりだしていた。せいろ1枚は約1キログラムで、1枚ずつ競りにかけられる。
午前6時、サイレンが鳴り響くと初競りが始まった。40人ほどの仲卸業者らが台の上に立ち、真剣な表情で魚に視線を注ぐ。それぞれが立てた指の本数などで指し値を示すと、競り人がそれに呼応し独特の符丁で価格を読み上げる。場内には、買い気を誘う競り人の威勢のよい掛け声が響き、駆け引きが交錯する。一つの取引は10秒もかからないくらいあっという間に終わり、一枚また一枚と競りが続く。
初日の入荷量は40枚。解禁日の前日が昨年と同じく雨天だったため、入荷数量、価格とも前年並みとなった。仲卸業者や売買参加者は目利きの力を発揮し、得意先である料理店などが求めるサイズや価格なども勘案し、商える数量のアユを競り落とす。売買されたアユは、岐阜市内や名古屋市などに向けて出荷された。こうした取引が、市場が開く日には毎朝行われる。同市場を運営する岐阜市によると、全国の中央卸売市場で天然アユの競りが行われているのは、この市場が唯一であるという。ここで岐阜県内の天然アユの相場が形成され、商品としての価値がつくられる。
「今日のアユは生育がいいねえ。ええ顔をしとる。餌がいいから肥えとる。忙しくなるのはこれから」。初競りを迎えた市場関係者は笑みを浮かべる。6月に入ると、長良川の上流や県内の多くの河川でアユ漁は解禁する。市場のなかに漂うスイカの匂いでどれくらい入荷したかがわかるくらい、多くのアユが取引されるという。
食べ方を消費者に伝える
岐阜市内の鮮魚店「魚ぎ」では、市場で競り落とした天然アユを丸のままや塩焼き、開きにして販売している。店には、近海の旬の魚介類やマグロの柵などたくさんの種類の水産物が並ぶ。アユは県内の天然の他、愛知産などの養殖物を扱う。週末には市内である催しにも出店して焼いたアユを販売するが、代表の内藤彰俊さんは「今は焼き魚の食べ方を知らない人が多い」と話す。アユに限らず、魚を切り身や調理済みで購入することが増え、丸ごと食べる習慣が薄れていることを実感する。
店では丸のままのアユを買う客はあまりおらず、焼いてほしいと頼まれたり、開きを売ったりする注文がほとんどだという。魚全体を見ても、消費者の多くが購入するスーパーや量販店の売り場に並ぶのは加工済みが中心。鮮魚をそのまま買い、自宅で調理し食べる機会は大きく減った。頭からわた、骨まですべてを味わうことができるのがアユの魅力。魚離れと言われるなか「魚は知らないと食べない」と内藤さんは話し、まずは食べて味をわかってもらうことが大切だと説く。
魚食普及にも力を注ぐ内藤さんは、アユについても家庭での食べ方のレシピを提案したり、新たな調理法を試したりし、より多くの人に食べてもらおうと努めている。6月に同市内で企画したワインとアユを味わう催しでは、アユを使ったエスカベッシュ(南蛮漬け)を参加者に振る舞った。
川と生きる生業をつくる
長良川と生きる生活が5年目に入った川漁師の平工顕太郎さん。岐阜市内の漁場で営み、今の時期は夜に行う「火振り網漁」でアユを捕る。川のなかに刺し網を張り、光や音で魚をおどかし追い込んで捕まえる伝統漁だ。6月中旬に訪れたときの長良川は水量が少なく、アユの警戒心は強いというが「魚が寝ている夜のほうが捕りやすい」と話す。
平工さんは日中に川を眺めてアユの様子を確認し、その夜に網を張る場所を決める。夜の魚は音に敏感なため、岸から静かに足を入れて腰までつかり、遠くからアユの群れを網で巻いていく。危機を察知したアユは、網のうえを飛び越え必死で逃げようとする。魚影が濃いとあたりにはスイカの香りが漂い、たくさん捕れたかどうか網をあげる前からわかるという。漁が行われるのは日没から深夜まで。川のことを熟知した者だけが駆使できる巧みな漁で、魚との知恵比べである。
長良川から職漁師がほとんどいなくなり、20近くあるアユを捕る漁法のうち、すでに半分くらいは廃れてしまっているというが、平工さんは「覚えられるものは継承したい」と話す。「ゆいのふね」という屋号で、捕ったアユや加工した水産品などを販売するほか、自身の漁舟に一般客を乗せて長良川を案内するエコツアーも行っている。また自身の川漁師としての経験から、長良川やアユをはじめとする生き物、漁のことを知ってもらおうと県内各地で講演活動を続けている。今年7月には生まれ育った地元の岐阜県各務原市で店を開く。川文化の交流拠点にし、朝獲れ天然アユの販売や魚食普及、青少年に向けた環境教育、漁具の展示や魚を捕る道具の貸し出し、川についての情報発信などを行う予定だ。
遺産をどう守り残していくのか
捕る人がいて、集めたり分けたり、売ったり調理したりする人たちがいて、私たちは長良川のアユを食べることができる。さまざまな役割を果たす人びとの働きがあって、季節の味を知ることができるのである。どの機能も欠くことはできないが、その源となるのがアユの産卵場となり、育成の場となる長良川である。
川漁師はいつも川とともにある。川を知る人間がいるからこそ、川は守られる。その川漁師も担い手がいなくなり、技術の継承は止まったまま。今は昔のようにアユを捕っているだけでは生活ができない。背景には河川の環境悪化や魚価の低迷、魚離れなど、さまざまな要因がある。漁を続けるうえで欠くことのできない舟大工や漁網を作る職人もわずかで、天然アユを供給するシステムとそれを支える技術が失われようとしている。
先人から託された遺産をどう守り、次代に残していくのか。川と海の循環を止める河口堰、上流で着工が始まり環境への影響が懸念されているダム。川魚を食べない。川で遊ばない。川への関心が薄れ、希薄になってしまった関係を、これからどう修復していくのか。そのなかで活路を開こうと取り組む人びとの姿がある。流域で暮らす一人ひとりに問われている問題であり、長良川のこれからについて考えてみたい。